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	<description>～山形県鶴岡市三瀬より～</description>
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		<title>「十二山の大蛇」</title>
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		<pubDate>Mon, 08 Feb 2010 00:48:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[豊浦の民話]]></category>

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		<description><![CDATA[むかし、由良の十二山に大蛇が棲んでおり、楮の浜の田畑や山にかよう百姓たちが、時どきその姿をみつけては、恐ろしさのあまり気絶するやら、逃げかえるやらして、通行もできないようなありさまだったそうです。 　その頃、楮の浜に田蒲をもっていた徳左ェ門という家の主人は、豪快な気丈者でした。 ある日、田蒲に出かけると大蛇が現れ、眼の前の道を横切ったので、「汝、明日もまた、ここに現れるならば、真二つにしてくれるから覚悟しろ。」 といいました。 　ところが翌日、再び大蛇が現れたので、持っていた大鍬の歯先で真二つに打ち切り、これを藤のつるで結び、海中深く投げすてました。 　しかし、海中に投げすてられた大蛇は、藤のつるから生じた薬汁が切り傷に即効あったものか、二つ切りの胴が合いつながり、人に変化して海中よりいで、徳左ェ門という家の主人の姿となって、温海へ湯治に行きました。 　霊湯といわれる温海の湯の効めはすぐれ、傷口もすっかりなおった大蛇は、再び由良の十二山の戻ることにし、その途中、徳左ェ門という家へあいさつに立ち寄り、 　「十二山の大蛇ですが、わたしが悪かったため、さき頃、ご当家の主人から鍬で真二つに打ち切られましたが、藤のつるの薬効で一命をとりとめ、温海の霊湯で傷口もすっかりなおりました。これからは決して姿を見せませんから、どうぞ、さき頃のことはお許し下さい。」 とていねいにお詫びをいったかと思うと、そのまま姿を消してしまいました。 　その大蛇は、十二山からのがれて、オクナエゾの沢深き岩室に棲みつき、一切その影さえも見せなくなったということです。 　また、オクナエゾの沢には、いまなお大蛇の神秘を恐れて、女人の立ち入りが禁じられております。 寄稿　和田九郎治]]></description>
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		<title>「鴨助山の老狐」</title>
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		<pubDate>Sun, 07 Feb 2010 01:50:48 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[豊浦の民話]]></category>

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		<description><![CDATA[むかし、由良の鴨助山に、おさん子、おだ子の二匹の老狐が棲んでおり、その子孫が多く、付近の山一帯が狐の山であったそうです。 　そして、この狐たちは、あんまり多いので食物に困り、泊の三岩の浜へたくさんの子狐を連れて出て来て、浜に流れ寄る小肴などをひろって食べていました。 　浜に寄る小肴などがない時は、通行人の弁当をだまして取るやら、人家にしのび、勝手口の窓から油揚を取るなどして有名でした。　鴨助山とは、箱形山（いまの葉山の一部）の一帯で、七峯七沢あり、大将である老狐おさん子、おだ子の棲む場所は誰も知ることができなかったといわれます。 　ともかく、三瀬から由良に夜道を歩く人びとは、必ずと言ってよい程に、弁当やご馳走を奪われ、夜間の往来が跡絶えるありさまで、この街道は狐が群をつくり、怪火をともした狐の嫁入り行列が、夜毎に見られたそうです。 伊藤吉蔵氏　遺稿]]></description>
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		<title>「きつねととんち小僧」</title>
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		<pubDate>Sun, 07 Feb 2010 01:47:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[豊浦の民話]]></category>

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		<description><![CDATA[　むかし、いまの三瀬駅の裏山あたりに、りょうがん寺というお寺があった頃のお話しです。 　その頃、このあたりには、きゅうえもんという家と、よそぅえもんという家があるばかりで、やせた棚田が、小さく扇型に区切られて降矢川まで続き、向い山の菖蒲田の沢には、背丈をこすほどのすすきが生いしげり、さむざむとしたさみしいところでした。 ここのりょうがん寺に、とてもとんちのよい小僧がおりました。今朝も、小僧は、和尚さまにいいいつけられて、きゅうえもんという家へがっき（注１）に出かけました。 　お寺の山門から見える庚申塚の一本榎のあたりは、まだ、うす暗く、道ばたの枯すすきの穂先が妙にほの白く見え、中秋の朝明けは、灰色がかった空模様でした。 　ふと、見ると、きつねがいっしょうけんめいに化けていました。もともと利巧な小僧には、どういうものか、すぐそれとわかりました。 　この頃、菖蒲田の沢には、悪知恵のはたらくきつねが棲んでいて、よく野良に出る村人をだましていました。この秋の刈り入れ頃も、杭にかけておいたてんごの中のわっぱのご飯をすっかり食いあらされたとか、なまぐさものをとられたとか、村中のひょうばんになっていました。 　｢菖蒲田の沢のきつねだのー。よーし、ひとつばかえしてやれ。｣ と小僧は、いたずら気を出して、 　「きつね、きつね。おめは、それで化げたかんじょうだろども、おっぽみなみぇんぞー。」 と大声でどなりました。 　きつねは、びっくりしてしまいました。ほんとうに化け方が、まずいのかと思い、きょろきょろとまわりを見廻しながら、すっかりあわててしまいました。小僧は、おかしさをこらえながら、持っていた一本の扇を開き、差も、大事なもののようにして、 「おれだば、こな一本あっど、何さでも化げらえる。こな、欲しくねーが。」といって、扇をひらひらさせて見せました。 　化け方がまずいといわれて、化けることにすっかり自信を失ったきつねは、小僧の持っている扇が欲しくてたまりません。 「こぼちゃ、こぼちゃ・そな、ゆずてくれちゃ。」と頼みこみ、ついには、何でも望みのものをやるから、とりかえっこしてもらいたい……。と願いました。 　小僧は、村人に迷惑をあたえているこのきつねをこらしめるよい機会だと思い、ひとつの計略を考え、わざとまじめな顔をしながら、 「そげ欲しなだば、宝生の球ど、しけるがー。」 といい、きつねの最も大切なものとされている宝生の球を、一本の扇ととりかえました。 　きつねは、天祖天照大神が天孫降臨の祈り、稲荷をくわえて御前立をした功により、正一体稲荷大明神として、変化自在の宝生の球をさずかっているものとされ、その宝生の球があるのでした。 　まんまと、とんちによりきつねから宝生の球をとりあげた小僧は、これで、もう菖蒲田の沢のきつねも、人をばかすこともできなくなったぞ……。と思い、すっかり得意になりました。 　きゅうえもんという家でお経を読みながらも、ふところに入れてある宝生の球が気になり、妙にそわそわする小僧のようすを、家の人たちも変に思いました。 　「りょうがん寺のこぼ、きつねがら宝生の球とりあげだどや。」 といううわさが、どこからともなく村中にひろまりました。和尚さまもそのうわさを聞き、なんとかして宝生の球を見たいものだ……。と思いましたが、小僧は、自分の部屋にかくして誰にも見せませんでした。 　同じ頃、村人たちは、菖蒲田の沢のきつねが、扇をくわえている姿をたびたびみかけました。そして、村人たちは、「あの悪ぎつねめ、扇などくえで、まだどこがの酒のみでもだまがしたなだのー。」 と悪口をいいました。それを聞いたきつねは、はじめて小僧にだまされたことを知り、口悔しくてなりません。なんとかして、小僧から宝生の球をとりかえそうと考えました。 　こずえの柿の実が、晩秋のうすい陽ざしに映え、山門の杏の黄ばんだ葉が、音もなく敷石の上に舞い散るある日の午後。お寺に、ふろしき包を背負った小僧のお母さんがたずねてきました。小僧が出てみると、お母さんは、 「こぼや、おめ、珍しいものたげっだでけねが……。」 と、菖蒲田の沢のきつねから宝生の球をとったうわさを聞き、冥土のみやげにぜひ見たいものだと思い、わざわざたずねてきたことを、くどくどというのでした。 　小僧は、そんなものは無いのだ……。とかたくことわりましたが、側で和尚さまからも、親孝行のためだから……。といわれ、しぶしぶとり出しお母さんにだけ見せました。お母さんは、小僧が手にぎっしりとにぎったまま見せるので、 　「手はなして、もっとよぐ見せでくれちゃ。」 と眼をしばたかせながら、小僧の側ににじり寄って頼みこみました。 　小僧も、歳をとったお母さんの願いなので、つい可哀そうになり、手を離して見せました。そのとたん、お母さんは、 　「こぼ、このじょは、よぐもだましたのー。宝生の球どごとさきたなだ。おれのとんちがら負げだろー。アハ、ハ、ハ、ハ、……。」 ときつねの姿を現わし、大声で笑いながらゆくえをくらましてしまいました。 　小僧は見せてやるように……。とすすめた和尚さまにまでくってかかり、口悔しがりましたが、いまさらどうにもなりません。ようし、もう一度とんちくたべだ……。と小僧は。白もち（注２）をつくって顔にぬりつけ、尺杖をもって菖蒲田の沢に出かけました。そして大きな声で、 　「おれは山の神だぞ。菖蒲田の沢のきつね、いだば出てこーい。」 と呼びたてました。きつねは、山の神さまの許しを得てこの沢に棲んでいるのですから、 　「おえ、おえ。」 と返事しながら出てきて、山の神になりすませている小僧の前でかしこまりました。 　小僧は、おごそかにいいました。 　「おめは、このじょ、りょうがん寺のこぼから宝生の球とたえだでねが。」 とにらみつけながら、 　「そげだ宝生の球もたががねよだ野きつねは、この沢さおぐごとできねさげのー。」 と叱りました。きつねは、すっかりおそれ入ってしまい、 　「宝生の球は、いちどはとらえだども、まだとりげしたさげ、そうかゆるしてくれちゃ」 と願いましたが、小僧は、 　「そげだどとはうそだろー。ほんとえあんなだば、こごさ出してみせろ。」 と更にいいました。 　きつねは、ますますおそれ入ってしまい、なんとかして山の神さまのお許しを得たいものと思い、おそるおそる宝生の球を小僧の前に差し出しました。 さっ……。とそれをとりあげた小僧は、 　「アハ、ハ、ハ、ハ、……。おれは、山の神でもなんでもね。やっぱりおれのとんちがら負げだろー。」と大声で笑いました。 　宝生の球をとられた菖蒲田の沢のきつねは、それ以来化けることができなくなってしまいました。がっかりして、ひと冬のうちにすっかり老いこんでしまったきつねが、春さきに、道ばたのばんけなどを食べている姿を時おりみかけましたが、その後、村人たちにも忘れられてしまいました。 （注１）がっき・主な檀徒の家の精進日（命日）に、朝早くお経を上げにゆくこと。 （注２）白もち・うるち米を水にひたし、臼でついてつくった米の粉のこと。 原話　佐藤多津恵 再話　佐藤広雄 [...]]]></description>
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		<title>「晦日なぐれ」</title>
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		<pubDate>Sun, 07 Feb 2010 01:46:15 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[豊浦の民話]]></category>

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		<description><![CDATA[　由良には、古くから語り継がれてきた悲話に、晦日なぐれという海難物語りがあります。 　むかし、天明の頃に、由良の浦には七そうの鱈釣舟がありました。その船は、一そうに若者六人づつが乗っり組み、艪で漕ぎ茣蓙でつくった帆をかけてはしる船でした。 天明八年十二月三十日の朝早く（今の午前二時頃）、天気はよく空には星までまたたき、全く申し分のない上凪のなかを、六人づつ乗り組んだ鱈釣船は、 　「正月前だぞ…。」 と船頭をはじめ若者たち一同、勇みに勇んで元気よく由良の浦から舳先を揃えて漕ぎ出しました。 やがて鱈場に着き、釣り縄を海中におろして朝飯を食べる者、また力を合わせて釣り縄を引きあげる者など、みなそれぞれの持ち場にたって、懸命に仕事をはじめました。 ところが、冬の空は変わり易く、にわかに風が強くなり、浪も次第に高まって、あれまじりの荒れ模様になったと思う間もなく、恐しい猛吹雪となってしまいました。 　舳先を襲う怒濤は、さながら天馬の荒れ狂うさまに似て、中天を駆ける強風は、帆柱を吹き飛ばし、それはそれは、すさまじい大時化となりました。 　船頭をはじめ若者たちは、神仏の加護を唱えながら必死になって艪を漕いだが、風雪はますます激しさを加えて、天日も暗く、方向もわかたぬ暴風雪となってしまいました。 　その日、肉身の安否を気づかい、大時化の磯辺に立ちつくす家族の前に流れ着た船は僅かに三そう、しかもその船底には、凍えて死んだ若者たちの悲しい屍があり、ついに帰らぬ四そうの船の人びとと合せて、三十二人の若者が、一しゅんの間に由良の浦から姿を消してしまいました。 　からくも生き残った十名の人びとは、 「自分たちは、こんご生涯鱈釣りはしません。」と神に誓い、鱈釣りの縄の鈎と錘を全部切りはずして一個のまとめ、これを白山大神の神殿の床下の土を掘って納めたのです。 　そしてまた、その人びとは沖で遭難中に神に誓った断ちもの、 一、あい（染物用の植物）を植えないこと。 二、女郎を出さないこと。 三、鶏を飼わないこと。 を更に神前で誓い合ったということです。 （注）晦日なぐれとは、晦日に大ぜいの人びとが遭難死した、悲しいできごとという意味と思われる。断ちものとは、神仏に祈願するにあたって、おのれの真心を誓い明かすための、神仏への約束ごと。 その当時の白山大神の神殿は、三尺に四尺位の奥殿一棟しかなかったものらしい。 この晦日なぐれに被難した戸数は、三十一戸といわれる。 そのご、寛政五年旧十月十七日も、大きな海難事故があり死亡二十五人、被難戸数十三戸といわれている。 寄稿　　和田九郎治]]></description>
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		<title>「下男三人」</title>
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		<pubDate>Sun, 07 Feb 2010 01:05:24 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[豊浦の民話]]></category>

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		<description><![CDATA[　昔、三瀬にお金持ちの家がありました。そこには下男が三人もいて長らくつとめました。そしてその三人は働きもので、主人かたほめられ、いつでも家にかえる時はなんでものぞみのものをやるから、こんど家にもどって「よめ」でもとるがよいといわれました。そこで一人のいうことに、この家の馬がほしいというと主人はよろこんで、馬をくれました。又一人の下男は私はお金千円もらいたいというので、よしよしといってお金をくれました。今一人は何もいわないので主人が何にするといったら、きのどくですがお主人様の大切にしている「めかけ」がほしいといいました。主人はそれはこまる、私一人ではきめられないから話しますといって「白たき」にいいました。すると私の「なぞ」をとけば行くというのでした。 　「朝日にかがやく白たきが、山田山田」とかけました、すると下男が「朝でかれる山田のいね白たきをとして山田たすける」といったので、これくらいの人なら一生たのしく暮らされると思って下男に行き、主人にもほめられて長くたのしく暮したということです。]]></description>
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		<title>「あしだのばけもの」</title>
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		<pubDate>Sun, 07 Feb 2010 00:59:48 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[豊浦の民話]]></category>

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		<description><![CDATA[　昔、今はないあき寺がありました。この寺に、日暮になるとばけものがでて、おどるような音がするので、近所の人はみんな夜になるのをいやがりました。 　ある時、村の若者があつまって、えんの下にくぐってみたらアシダがあった。なん年たったものか古くさったアシダでした。そのアシダは「四角八角歯は二枚あり、またまなこが三つある、「デンデコデンデコ」とおどるので、女や子供はたいそうおそれましたが、この若者たちのおかげでアシダのばけものはやかれてしまい、それからはなにごともなかったと言う事です。]]></description>
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		<title>「道師川原」</title>
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		<pubDate>Sun, 07 Feb 2010 00:58:12 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[豊浦の民話]]></category>

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		<description><![CDATA[　昔、三瀬の川には水無の方まで「川いお」が上っていました。 　木枯の吹きはじめたある朝早くから若者たちが「川いお」とりをしているとぼろぼろの「けさ」をかけた貧しげな身なりの坊さんが大きな荷物をせなって通りかかりました。それを見かけた一人の者はあまり「川いお」がとれるので面白くなりからかい半分で坊主「川いお」の一匹もくれてやるといいながら、いらないいらないという荷物の上に「川いお」をあげてやりました。 　通行人に無理をする人たちだ。こらしめてやろうとつぶやいた坊さんは川原から二匹の蛭をつかまえ「おか蛭になれ」と藤倉の下の「かしらなし」の沢に一匹又「ざくの沢」にむかって一匹なげました。それがこの二ヶ処にしか住んでいないという「おか蛭」となり今でも山を歩く人をなやませています。又坊さんは水無を立つとき「たもと」に入れた川原の小石を「川いお」になれと瀬波の川になげました。それからたくさんの「川いお」がのぼるようになり三瀬にはこなくなりその時の小石は今も三瀬石といわれているそうです。村の人はあの乞食坊さんが弘法大師様であったと知り通りかかった川原を道師川原とよぶようになりました。 寄稿　佐藤多津恵]]></description>
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		<title>「お伊勢まいり」</title>
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		<pubDate>Sun, 07 Feb 2010 00:51:35 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[豊浦の民話]]></category>

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		<description><![CDATA[　昔、三瀬にもさまざまの事がありました。 　お金もちの兄さんが、仕事もいやだし、お伊勢まいりにでもと思って家を出ました。 　あちらこちらを見物しながら何日もかかってお伊勢様の近くにくると、若い女が、どこまで行くのですか、といわれ私はお伊勢まいりです。あなたはといったら私も一しょにつれていって下さいといわれて仕方なく一しょに行きました。 　見れば、見るほどよい女でした。若い兄さんはこんな人をおよめにしたらと心の中で思ったけれど、どこの人やらわからないし、ただ伊勢様をおがんで出ました。 　するとこの女の人があなたはどちらですといわれて私は山形の三瀬です。とおしえました。 　長々おせわになりました、私はここからわかれますからといって一本の「オウギ」をわたしました。家にかえってこれを見たら、国は十六七の国、うてばくわれるうたばくわれの町、はればくわれるはらぬばくわれぬ町、おとといからのきょやき町、ここを通りおしこみの前の千年橋をわたり、子の子のへむといううちです。たづねてきたら、いつでもむこにしますとかいてありました。 　この男もこれをはんずることが出来ないので、ある（ぼうさん）に行って何んということですかとききました。すると、おぼうさんは、十六七とは、わかさの国、うてばくわれるとは、かじ町、はればくはれるとは、からかさ町、おとといからのきょやき町とは、かわらやき町、おしこみの前の千年橋とは少し奥に石橋がある子の子のえむとは、まごえむ、とおしえてくれたので、若者ここをたづねて行きました。 　お伊勢まいりも出来たし、むこでもと話しても、しらぬかほしているので、おやたちは、大そうしんぱいしました。ある天気のよい日、むすめが外をながめていると三瀬からきたと、いわれたので、この話をおやたちにきかせ、この家のむこさんとなってたのしく暮したという話です。 　お伊勢まいりは、有りがたい。 寄稿　佐藤多津恵]]></description>
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		<title>「はちのおんがえし」</title>
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		<pubDate>Sun, 07 Feb 2010 00:46:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[豊浦の民話]]></category>

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		<description><![CDATA[　昔、三瀬にも、若者のあそびばがあって、たくさんあつまりました。 　お盆もすぎて、秋らしくなるようなころでした。仲間の一人が、酒田の本間様がむこをさがして、立札が出たと話しました。 　すると、一人の若者が私がいってみようかなと、いったらそれがえいという人、だめだやめれと、いう人、けれども私が、まづいって見るというので、少々よいきものをきて、わらずをはいて家を出ました。 　矢引坂を通り水沢の下で子供三人が、一パの「かめばち」をいぢめていました。子供たち、そのはちを、おれにうってくれといったら、なんぼでかふ、一センかな、と、いふので、ハチをかって、からしかといふところにいくと、私がかわなかったら、ころされるところでした。いつか、おんをおくれよとはなす。よろこぶようにとんで行きました。そして若者は村村を通り、酒田の近くまでくると、あのハチはどこへとんでいったか、……若者は、本間様につき、立札についてまいりました、といったらようこそと内にいれられ、お湯にはいり、きれいなきものにかえそして一同が、あつまっているところで、この家のつぼ木は何百本あるかあてて下さい。といわれ見たこともない聞いたこともないのでまづ便所に、立ちました。すると遠の方からハチがとんできて、このつぼ木は三百三十三本ある、といって、ぶんと行きました、これはと思って若者は三百三十三本あるといったっら、よくあててくれたが、今ひとつ、大いやくなことがある、とこの間に、三人のむすめにきものもおびもかみもみんなおなじでした。このうちに家のむすめがいるからその人にサカヅキをさして下さい。といわれ、みたこともないので又便所に出て行きました。　さっきならハチがきて、おしえたけどこんどはきてくれまいと、又遠くの方をながめたら、又ハチがきて若者のかたにとまって、あとさき下女だし、中のがあねだ、といってぶんととんで行きましたそれからざしきにはいり中のむすめにさかづきをやると、これはめでたい、家のむこさんといわれて暮したという話です。 　ありがたい。とようら公民館。 　月の二十日は。たのしみだ。 寄稿　佐藤多津恵]]></description>
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		<title>「じんのすけぢぢい沢」</title>
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		<pubDate>Sun, 07 Feb 2010 00:45:09 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[豊浦の民話]]></category>

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		<description><![CDATA[　その年は、三瀬の浜で鯖や鯵がたくさんとれました。 　ある秋の日のこと、じんのすけという家のおぢいさんが、隣り村中に鯖売りに出かけました。 　水無の村中を通り、稲杭の立ち並らぶ田んぼを過ぎて、二口橋のあたりまできた頃、まだそんな時刻にはならないと思っていたのに、なんとなくうす暗く、すっかり日暮れ模様となりました。 　こんな処で、日暮れになられては……。と思い、ふと見ると、沢の方に一軒の山小屋があり、中からかすかに灯りが見えました。おぢいさんは、 　「いがったちゃ、いがったちゃ。一晩泊めでもたうがのー。」 とひとりごとをいいながら、その山小屋の中には、六十才余りのおばあさんが一人ぼっちで、青白いいろり火の側にかがんでいました。そして、おばあさんは、 　「ぢさま、鯖売りだがー。暗ぐでいがいねば泊まっていげちゃ。」 といいながら、おぢいさんが背負ってきた鯖を、みるみるうちに何匹となく食べてしまいました。 　おぢいさんは、びっくりしてしまい、 　「ただでみな食わえでしまえば、あきねさえなぐなってしまう。銭ごせちゃー。」 といいました。するとおばあさんは、 　「銭などやらえね。そげだごというど、ぢさまどごものんでしまうさげのー。」 とものすごい顔で、おぢいさんをにらみつけました。 　おぢいさんは、これはあやしいおばあさんだぞ……。と思いましたが、日もとっぷり暮れてしまったので、しかたなく土間にむしろを敷いて泊ることにしました。 　眠ったふりをしたおぢいさんが、むしろの端からそっとのぞいて見ると、おばあさんは、いろりの側にあった大きな櫃のふたをとり、その中に寝るようすでした。そして間もなく、櫃の中からけもののような寝息が聞こえてきました。ますますあやしいぞ……。これはきっと、この峠に出る化けものだ。なんとかして退治しなくては……。と決心したおぢいさんは、じっと夜のふけるのを待ちました。 　真夜中頃、こっそり起きたおぢいさんは、大きな茶釜いっぱいにお湯を沸かし、いろり火で火箸を真赤に焼き、そっとおばあさんが寝ている櫃の側に寄り、手に持った焼き火箸をキリキリ、キリキリと錐もみして、櫃のふたに穴をあけました。 　すると櫃の中で、おばあさんが目をさましたらしく、 　「キリキリ鳥が鳴くさげ、そんま夜明げるのー。」 とつぶやきながら、またひと眠りするようすでした。いまだ……。とばかりおぢいさんは、ぐらぐら煮えた大茶釜のお湯を、櫃のふたの穴から一気に流し込みました。 　櫃の中では、おばあさんが、 　「あっちぇちゃ、あっちぇちゃ。鯖売りぢさまやー、銭もやっさげ、助けでくれちゃー。」 と悲鳴をあげました。おぢいさんは、 　「おれどごのむぞー。なんてそうものなの、化げものださげだ。だーれ助けらえるもんだが。」 といい返して、櫃のふたを押えつけました。 　間もなく音も聞こえなくなったので、おぢいさんがおそるおそる櫃のふたをとって見ると、中には大きなむじなが焼け死んでいました。 　それは、歳を経た大むじながおばあさんに化けて、この峠を通る人びとに難儀をかけていたのでした。 　この話しを伝えきいた村人たちは、それ以来この沢を“じんのすけぢぢい沢”というようになり、いまも俗称としてその地名が残っております。　 原話　佐藤多津恵　再話　佐藤広雄]]></description>
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